【politics】空気でモノを考えない

小沢一郎の無罪が確定した。
私にとっては驚くべき結果ではなかった。
法は「疑わしきものは罰せず」というスタンスを取るのが、定説とされているからだ。

 

そもそもこんな微罪でこれほど多くの人が彼を悪者扱いしているのは、
マスコミの取り扱い方の賜物でしかない。
しかも日本国民は平均的にお金を持っている人に対する潜在的嫌悪感が強い。
なるべくして、小沢さんはマスコミの餌食になってしまったのだと感じている。

法は国民を護るために存在しているモノだ。
しかし、人はあまりにもそれを意識せず暮らしている。
普通に生きていると、法を意識しない生活を送ることもできなくもない。

 

法律は本来、それが大物であろうと、普通の人であろうと、
同じように適用され、運用されるべきなのだと私は思う。
それでも、この事件や、ライブドア事件のように明らかに意図があって、
司法を歪めようとしている事件がここのところ多いのも事実。

 

なぜ、そんな風になってしまったのだろう?
それは「空気」でものを考える国民が多いからではないかと考えるようになった。

 

じっさい、ワイドショーや大衆紙では事実を脚色したり、見せたり、見せなかったり、という手法をとって、世論をコントロールしようとしている。
だから、私はワイドショーを見るのが嫌いだ。
「こう考えて欲しい」という押し付けの映像に嫌気がさすからだ。

ある意味、情報操作なのだろう。

 

いつまでそんなものに翻弄され続けるのだろう?
私たちはもっとそれに対して敏感になるべきだと思う。

テレビや新聞のような既存のメディアの情報は、
本当にインターネットにあふれる情報より正しいのだろうか?

たとえば、小沢さんが有罪でないのがおかしい、という人たちの、
その根拠は事実ではなく、マスコミによってバイアスされた事実ではないのか?

 

まずは今あるものに疑問を抱いてみる。
そこにあるものは何なのか、を考え抜くことから、始まる。