【Opinion】「dis」るって好きな言葉じゃない。

 

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私はインターネットの世界も、ブログも、SNSも好きです。
それがない生活は今は考えられないくらい。

でも、苦手というか、嫌いなこともあります。
私は「dis」るという表現が好きじゃありませんし、
簡単にその言葉を使うことにものすごく抵抗があります。
できれば自分は人やものに対して敬意を持たない批判はしたくないと思うからです。
見てて気持ちのいいのもじゃないというのがその大きな理由です。

いつもテレビを見ていたり、新聞の情報を読んだりして、驚くことは、
人って他人に対する執着がすごいんだな、ということです。
たとえば、殺人犯の家族に被害者の関係者でもない人が、
電話をしたり、嫌がらせをしたりする話や、
インターネットで取り上げられている時の人を徹底的に、
それこそ、知りもしないだろう情報を仮説で組み立てて批判していたり、
例を挙げれば限りはないのですが、なぜ、それほど、固執するのか私には分からないのです。

もちろんニュースやバラエティを見て、感情を持つこともあります。
ひどい人だな、とか、付き合いたくないなとか、会いたくないなと思ったりもします。
でもわざわざもてる手段を駆使して、その人の居場所を調べたり、
さらに次の行動に起こして、自分はこんなにもあなたの存在が不快だと訴えようという気持ちになったことはありません。

なぜ、そこまでやろうという気持ちになるのか、私には永遠に分からないのかもしれません。
だって、見も知らぬ人のためにそれほどたくさんの時間を割こうと思ったりしないからです。

そんな時間があるのなら、

読みたくて、読めてない本を読む時間に当てたり、
ずっとずっと会えてない友達に会いに行ったり、
至福の気持ちになれるエステに行ったり、
天気のいい公園をぼんやり歩いてみたり、

やりたいことはいくらでも出てきます。



もっと、自分の人生を生きたらいいのにな、と老婆心ながら思ってしまうのです。
私は自分の時間は自分自身と、自分の大切な人のために使います。

もっと、人が人に執着しない世の中になったらいいのにな。