【Social】隣の芝生は青いのか?

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ふと気になる発言があった。
FacebookのTLはリア充度が高くて気持ち悪い」というそれだ。
さらに、個人情報(出身学校や会社名)を明示するのが嫌だから使わないと。

 
なるほど、そんな風に感じる人もいるのか、ということに気づいた。
私はまったくそんな感じ方をしたことがなかったからだ。
なぜ、そう感じるのだろう?
なぜ、自分の出身学校や会社名を明示するのが嫌なのだろう?
と考えるとき、「隣の芝生は青い」と感じるからではないかと感じていた。
そして、その隣と自分が比べられることを恐れているのではないか、とも思えるのだ。

確かに友達が美味しいものを食べていたら、
うややましいな、私も食べてみたい、と思うし、
素敵なところを旅していたら、
ああ、こんなところがあるなら行ってみたい、と感じる。

それを妬んで捕らえることはたぶん、あまり、ない。

その大きな違いは「幸せ」の基準を自分の中においているか、
他者との比較の中においているか、ではないだろうか?
日本にはそれを他者との比較の中に置いている人が多いと感じる。

そんな人がSNSであふれる他人の情報を受け取ったら、苦しくなるのは当然かもしれない。
人にあって、自分にないものを見て、気持ちがいつも揺れるだろうことは想像できる。

それはなんだか、もったいない気がする。
違っていて当然のことなのだから。


多様なものを受け入れられる。
人との違いが楽しいと思える。
人の経験や感動を一緒に楽しむことができる。
人の気づきを共有することができる。


そんな風に生きられたら、他人の「幸せ」と自分の幸せを比較して嘆くより、
楽しくて、生き生きした日々が過ごせるのに。
 
そのために自分の中に幸せの基準を持とう。
自分でよいと思えることが幸せなこと。