【Myself】キャリアについて考えること 4

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私が卒業するころ。
平成6年、1994年。
そろそろバブルは完全に崩壊していました。

おいしい話も転がっていませんでした。

大企業に行かなきゃとか、名前の通った会社じゃなきゃ、と考えるどころか、
ま、バイトでいっか、ぐらいに軽く考えて就職活動を始めます。

バイト三昧の学生時代が教えてくれたことは、
就職雑誌を見ると元気な業界が分かるということでした。
求人の数でひとめで分かります。

せめて元気な業界に行こう、できれば都内で働けるバイトにしようと思っていました。
そんな私が選んだ会社は今はもうつぶれてなくなってしまった小さな会社でした。

メインの事業は、コンピューターソフトウェアの教育、翻訳でした。
その中で、ITベンダーの認定試験のオペレーションを行う委託業務を担当する仕事についたのでした。
この選択で運が良かったことはコンピューターというこれからの時代を担っていく分野だったこと。
もうひとつは女性を積極的に登用している会社だったことでした。

このころの私は積極的にこっちに行きたい、という明確な思いはありませんでしたが、「負けたくない」という気持ちは心の中にいつもふつふつと沸いていました。

行きたい大学に行けなかったこと、
就職でやりたい仕事につけなかったこと、

人生がこれで終わったらどうしようというちょっとした焦りがあったのだと思います。
そんな自分にできたことは、与えられた環境の中で、最大限の努力をする、という選択だったのでしょう。

淡々と繰り返される業務。
職場でやっとひとり1台パソコンが支給された時代で、まだ、使いこなす人は珍しいくらいでした。
そのころは仕事があまり好きではなかったので、できるだけ、短い時間で片付けたいと思っていました。
パソコンを使いこなしたり、業務システムがちゃんと動いてくれることがその要件でした。

社内システムは別の部門のインストラクターが仕事の片手間に様子を見ていました。
当然、トラブルがあっても、対応する人の手が空いていなければただ待つことしかできません。
最初のうちは仕方ないな、と思いましたが、だんだんそれはイライラに変わります。
自分が分かればこんな思いをしなくて済むのに、と考え始めました。

パソコンを使いこなすための本や、当時のネットワークOSを知るための本を買いあさります。
自分にとっての無駄な時間を1秒でも減らしたかったからです。
本を読むことは全く苦ではありませんでした。
学生時代に読んでいた本よりはるかにたくさん絵があったし、
答えが分かりにくい政治経済と違って、理屈がちゃんと分かれば、
ちゃんと動くという世界だったからかもしれません。

チームの中で一番、システムに詳しくなるまでにそれほどの時間はかかりませんでした。
仕組みが効率化されてやりやすくなったり、時間が短縮できたり、仕事が楽になっていくことは、ある種の快感でした。

そのころには私はその会社の社員になっていました。
やりたいことをやっているというよりは、日々の仕事をこなしているという感じだったと思います。

私の人生の今につながる大きなターニングポイントが来たのは、それからしばらくした、1995年頃のことです。

まだ、続く、ようです。