【Myself】キャリアについて考えること 5

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私の仕事人生を明るい方へ導いてくれたモノに出会ったのは1995年の年末のことで、年の瀬に私を呼んだ上司が言った台詞は衝撃的でした。

 

「3月までにLotusNotesのインストラクターになって欲しいんだけど」

とか、そんなような話でした。
一体、何のことやらよくわかりません。
インストラクターと、言った?
LotusNotesってなに?
頭の中にあったのは「はてな」マークばかりでした。

その時、コンピュータソフトウェアの教育部門ではちょうどLotusブランドのインストラクターをそろえて、新しく認定教育センターを開校しようとしていたのです。
登録に必要な認定インストラクターをそろえるために、期日までに、
資格を取ってほしいというものでした。

まさに青天の霹靂でした。

もしかしたら断るという選択肢もあったのかもしれませんが、
まったくそんなことは思いつきませんでした。

頭をよぎったのは「とんでもないことになった」ということだけ。

まず、私を助けてくれたのは大学の後輩でした。
まったく製品のことを知らなかったので、いろいろ教えてもらったり、
本屋につきあってもらって、一緒に本を探してもらったり。
けれど、本を読んでもまったく何のことやら分からず。

 

仕方ないので、自宅でも勉強できるようにパソコンを購入します。
そのとき、自宅にあったPCは頂き物のMACでした。
それでは思う存分に環境を作れなかったのです。


そこからは試行錯誤の日々。
会社ではもともとの仕事をしつつ、これからのために引き継ぎをしつつ、
自宅で勉強をする、といったような日々でした。
大学入試以来、試験らしい試験を受けた記憶はありません。
大学の試験はほとんど文章を書くようなものでしたのでしたので、
「テスト」に向けてどう勉強していいかも忘れていたのも痛手でした。

いつまでにテストに受からなければ行けないという日程が決まっていましたら、
もう、必死です。
布団で寝ると起きれなくなるので、ほぼ、毎日、こたつで寝ていました。
今、考えると、若かったから、出来たのかもしれません。

何度か、失敗をしつつも、テストに受かったあと、
次の難関はインストラクターの試験でした。
筆記とちょっとした障害対応的な現場適応力を見るもの、
そして、疑似講義をするものだったと記憶しています。

もし、学生の時に、塾講師や家庭教師的なバイトをしていなかったら、
もし、学生の時に、ゼミでディベートとか、パネルディスカッションで、
人の前で話すことに慣れていなかったら、きっと、
そこで話すことに抵抗があったかもしれません。

そういう意味では人生ってよく出来ているんですよね。
ちゃんと、そうやって繋がっていたのです。

要望通り、期日までにインストラクターの資格を取得することはできましたが、
本当の試練がそれからだと知ったのは、もっと、もっと、あとのことで。

資格が取れた時に、最初に思ったことは、ああ、これで布団で寝られる、
だったのでした。