【Sports】「変化しつづける」ことを選択できる強さ

もう、このブログは羽生結弦ブログだな、とふと思ったり。
羽生くんを見ていると何か言葉をつづらなきゃいけない気がしてくる。
ただのオタクだってことはもう、百も承知です。

今シーズンの結弦くんを見ていてすごいな、と人間として感心するのは、
この子は「変化し続ける」ことを選択しているのだと、感じることです。

春にコーチを変えたとき、もう、それはそれはひどい反発の嵐でした。
そりゃ、日本人はキム・ヨナ嫌いな人多いもんね、オーサーなんて名前も聞きたくないと思ったと言われても、なんとなく理解できます。
私も真央ちゃんファンだっったから好きにはなれなかったし。

でも、それを決断できるこの子はすごいと正直、びっくりしたんだよね。
「自分が成長するためなら多少の雑音は無視する」なんてすごいことを17歳が選択できる?
周りに同化したい日本人の平均的なメンタリティには絶対ありえない。
しかも、英語も分からないのに、カナダに行くなんてことを決めちゃうわけで。

たぶん、17歳の自分にその決断ができたか、と振り返ってもできる気がまったくしない。
そんなすべてをかけられるものにこの年で出会うことは幸せなのかどうかは正直分からない。
失うものもとても多いはず。

普通の高校生活。
普通の17歳。
普通に過ごす家族との時間。
犠牲にするものは少なくない。

それでも若いアスリートたちは自分たちの身を削って、世界に向かっていく。
それはね、結弦くんだけじゃなくて、本当にすごいな、と素直に感心するところです。

結弦くんのファンになって、ネットで情報を探すうちに、そんな人たちをすごい言葉で、貶めているのをみて、とてもとても悲しくなりました。
そう、私が大嫌いなネットの暗部。
そりゃ、何を言うかなんて勝手だけど、会ったこともない、言葉を交わしたこともない人を信じられない言葉で攻撃するあの姿だけは、どんなにそこに正当性があっても私は認めたくないし、自分はそういう人になりたくないな、と触れるたびに思うのでした。


さて、話は結弦くんに戻ります。
彼はカナダという新しい環境を選択します。

言葉が通じないことがどれだけしんどいかこれは経験した人にしかわからないと思う。
特に、私みたいにおしゃべりな人は本当に辛い。
しかも、彼はアスリートとして、コーチや仲間とコミュニケーションをとらなければいけないから。
それに慣れるのに夢中で、カナダの美しい街をまったく見てないという話をTVで見て、本当に必死なんだな、と感じたりするわけです。

新しい環境。
新しいコーチ。
新しいプログラム。
そして、新しい課題。

普通なら半年くらいパンクしててもおかしくない。
シーズン初旬は結果がついてこないかもな、と思うこともありました。

でも、彼はそこに向かって準備をしてきたわけで。
しかもシーズン中も、プログラムは難易度の高いほうにどんどん変化しているらしく、こいつは何を「生き急いでるんだろう」と感じるようになりました。


大人になるとね、変化って恐ろしく怖いんだよ。
慣れ親しんだ環境や自分のできることを捨てて、次のステージに向かう。
かっこいいことだけど、どれだけの大人ができるか?と聞かれたらほんの一握りと私は答えると思う。
だから、そんなやっかみもたくさんあるよね。

4Tを跳んだだけじゃ、彼は満足しない。
プログラム的には4Sを入れるより、他のジャンプでカバーして最後まで滑りきるほうが、点数は出るかもしれない。
本当に勝つことにこだわるなら、それが安全策。
それでもたぶん最後まで彼は、彼のチームはそれを選択しないと思う。

それが彼が選んできたものなのだろうと漠然と感じるから。

進化し続ける勇気は本当にすばらしい。
だからこそ、自分が停滞していないか、彼をみると自分に問いかけます。

私も生きている限り、変化しつづけたいと思うのでした。