■それは傲慢というモノ 〜誰かにとっての一番と、君にとっての一番は一致しない その2〜

バレーボール沼は思ったよりも深くて広かったんです。
というのも、日本代表を見てハマってから、選手を追いかけて、大学バレー、Vプレミア、春高観戦。
カテゴリを広げすぎたってのもあるんだけど、次から、次へと芋づる式に広がっています。

多分、競技としては私はフィギュアより、バレーボールのほうが好きなんだと思うのです。
なので、最近は個にハマったけども、競技が好きになってきたな、と自分では感じるようになりました。

でも、個人を好きになって、その人しか見えない人を否定する気にはなれないのです。
その気持もわかるから。

TwitterでTLを見ていると、大学バレーを見に来て石川くんばっかり応援するのはモヤるとか、中央大学全体を応援してほしいとか、柳田くんのいるサントリーの試合が終わると人がごっそりいなくなるとか、そういうことを批判している言葉を見かけます。

で、どうしたいの?と聞きたい気分になるのです。

たとえ、選手個人が好きになったとしても、会場に行って、そのプレーを見て、惹きつけられる人もいるんです。
惹きつけられないのは、その人と競技が合わないとか、目の前で繰り広げられているプレーは、その人にとっては魅力がないからなのです。
それは他人が干渉できることではないと私は思うのです。

SNSってさ、そうやって使ったら、ちっとも前向きじゃないよ。
そういう否定的な言葉を見かけた人がさらにその競技を好きになってくれて、追いかけてくれるなんてどうして思えるんだろう。

だったら、その魅力をもっと語ったらいいじゃない。
自分がこうして好きになったよ、というポイントを伝えてあげたらいいじゃない。
こんな素敵な選手がいるよ、って教えて上げたらいいじゃない。

選手も、ファンもそうやって努力するから、見てくれる人が増えていくんだと思う。
そのためにはキャッチーな選手も必要。
いままで見たことのない人が会場に足を運ぶためにはそのくらいのエネルギーがいるんだよ。
ファンを増やすってそういうことじゃないのかな?

自ら撮った写真をアップしてる人が、「石川くん」だけを撮ってることを否定しても。
彼だけじゃなければよくて、彼だけだとダメってへんな理論でしょ?
だって、撮ってる瞬間はきっと、プレーは見れないのだもの。
私も自分がカメラを持ってわかったこと。

プレーに熱中しちゃうと写真、撮ってられないし、写真を撮ろうとおもうといいプレーを見逃しちゃう。
だから、自分がどのタイミングで何を優先するかを選んでいるだけ。
(私もそうやって、撮るタイミングと、見るタイミングを自分で選別してます)

自分の好きなものを人に大事にしてほしい気持ちはわかる。
伝わらないその思いに憤る気持ちも。

だからこそ、もっと、前向きに個人に惹かれた人が、競技を好きになるようにアクションを起こしたらいいのに。
何も動く気がなくて、人の気持が変わらないことを嘆いたって、何も変わらないもの。

私にとっての一番と、誰かにとっての一番は一致しない事のほうが多い。
そう思って、何を自分が変えるか、って思うようにしたら、もっといい環境ができるんじゃないかな。

だって、ここにいるんだもの。

個に惹かれて足を運んで、競技を好きになった人が。
でも、あっという間にそうなったのは昔からファンだった友達が面白さをたくさん教えてくれたから。
決して、個を追いかけている私を否定するのではなく、こういう面白さがある、こういう素晴らしい選手がいるってたくさん話をしてくれたから。

それができる人たちが「こうしてほしくない」という呪いの言葉ではなく、「こうしたらもっと面白くなるよ」という言葉を発してくれることを祈ります。

だって、本当に面白いもの。
バレーボール。

私はこの面白さをたくさんの人にわかってほしいよ。