■生きることは苦しいですか? - 彼の死を悼む静かな時間が欲しいだけ -

昨日の夜は会社の人たちとご飯を食べていました。
ちょっとホットなタイ料理を食べて、外に出ると、風が少し気持ちよく感じるくらい気温が落ちていて。
家路を急ぎならが、ほぼ、習慣のようにTwitterを開きました。
 
TLは驚きの言葉でいっぱいでした。
何かが起こったことに気づくまで、そう多くの時間はかからなくて。
 
起こっていたことは「デニス・テンが強盗に刺殺されて亡くなった」というそれでした。
 
お悔やみを述べながら、にわかにそのことが信じられなくて、ロシアっぽいカザフスタンの誤報だったら?とも思いましたが、全てはその日に起きた本当の出来事でした。
 
なんで、
どうして、
 
という言葉が頭をよぎります。
 
平昌オリンピックではいいパフォーマンスを出せなかった彼ですが、スケートを続ける意志を示し、グランプリシリーズにもエントリーされていました。
気品のあるスケートを見せてくれる選手でした。
 
私はデニスのスケートも好きです。
もちろん羽生結弦が一番であることは紛れも無い事実ですが。
 
ボストン世界選手権でのトラブルの後、ゆづファンでも彼を敬遠する人も出てきました。
二人はその事象に対して和解したにも関わらずです。
 
理由はアンチの活動だったのではないかと思っています。
アンチにとっては格好のネタがそこにあり、口汚く罵る言葉がTLを埋め尽くしていました。
アンチ活動が進んでいくと、その人たちが押している選手までも見たくなってしまうのもわかります。
その人が糸を引いているわけではないこともわかっていても、その人がいるから、アンチが生まれると思えてきてしまいます。
 
昔は正面突破しかしませんでした。
論理的でないもの、誹謗中傷としか思えないものには食ってかかったのは懐かしい思い出です。
 
今はそういうアカウント見つけたら、今後のために証拠を残し、通報し、ブロックします。
TLは浄化され、変な言葉を見なくて済みます。
それでもその人たちはいなくなっていません。
アカウントを次々と変え、今でもゾンビのように生きていて、ネタを見つけると大騒ぎします。
 
羽生結弦が輝けば輝くほど、重箱の隅をつつくような問題を見つけて、騒ぎ出すという生き物です。
もう、それは好き嫌いを超えた憎悪にしか見えません。
人間ですらないんだろうな、と思うように最近はなりました。
この人たちは生きることが苦行なのかもしれない、と。
 
自分の満たされない思いやフラストレーションを解消するために、攻撃の対象を見つけ、叩きのめすことで生きていることを感じるのかもしれません。
それには羽生結弦は格好のネタです。
 
彼は叩いても、叩いても、その輝きを失わないから。
どこまでも高みに上り詰め、その歩みを止めることがないから。
どれほど汚く罵っても、彼がメダルを2つ手に入れたこと、最高得点を何度も塗り替えたことは変えようのない事実。
それがゾンビにとっては悔しくて仕方ないのでしょう。
 
デニス・テンという若く才能のあるアスリートの死という衝撃的なニュースですら利用しようとするゾンビたち。
せめて、スケートファンに彼の死を悼む静かな時間をくれようとは思わないのでしょうか?
これほどの才能を持った25歳の青年が命を落としたというのに、それを汚す大人がいるということは痛恨の極みです。
 
そんなにも生きるのが苦しいですか?
 
一年中、SNSに張り付いて、他人の粗探しをして、捏造や、脅迫を繰り返す人生は楽しいですか?
私はそんな人生は送りたくないですし、そんな負のオーラに包まれた人とは付き合いたくもないです。
 
そのために私はひたすら、通報やブロックを繰り返すでしょう。
 
多くの人が通報やブロックを繰り返すことでTwitterの世界も変えはじめました。
怪しいアカウントは削除されるようにもなりました。
ツールはそうやって進化していきます。
ゾンビにもそのうち生きにくい環境に変わっていくでしょう。
 
そんなに生きるのが辛いのなら、その命を、彼にあげて欲しかった。
 
私は彼のパフォーマンスをもっと、もっと見たかったよ。
彼が自国のフィギュア界や、スポーツ界をどうやって変えていくのか見たかったよ。
それができるアスリートだったんだよ。
 
命を奪った犯人には当然、怒りがあります。
でも、彼の死を汚す人たちにも腹が立ちます。
 
せめて私たちにじっくり彼を悼む時間をください。
あなたたちのノイズなんか、聞きたくないんだよ。
 
なぜ、神様は才能のある若者を先につれていくのでしょうね。
汚れた大人たちではなく。
 
デニス、天国でもその素敵なスケートで神様たちを魅了してね。
これからも進化していくフィギュアスケートの世界を見守ってね。
 
スケオタのみなさん、もう、ゾンビなんて放っておけばいいと思うの。
ゾンビはゾンビ。
人間ですらない。
 
そう、人間ですら、ない。

■サッカーW杯というお祭り騒ぎ

日本が敗退したので、私のサッカーW杯はここで終了です。
(ウィンブルドンも始まったしねw)
オリンピックで日本を応援するような感覚でサッカーW杯を見ていた気がします。

ベスト16という結果は今のランキングを考えたら、頑張った結果なのかもしれません。
世界の壁は決して、薄くはないのでしょう。
チーム競技でなかなか日本は世界との距離を詰められないでいるのかな?
実はオリンピックを見ながら、ふつふつと、そんなことを感じはじめたのです。

メダルを取っている競技は個人、もしくは個人の技能の結果の団体としての評価(例えば体操とか)が多いのだと。
例えば平昌オリンピックでチームで戦う競技でメダルを取ったのは、カーリングとパシュート。
リオオリンピックでは体操、バトミントン(ダブルス)、リレーくらいです。

チーム戦術を持って戦う競技では世界に近づけてないという事実がそこにあります。
サッカーもその一つではないの?と感じたことと、直前の監督の解任劇があって、このチームはこんな逆境の中、どう戦うのか、なという興味が観戦の動機だった気がします。
通常運転の私は、バレーボール、フィギュア、テニスがメインですから。

サッカーという競技を楽しんだというよりは、W杯で何が起こるのかを見てみようじゃないかという気持ちかな?
サッカーが抱える組織の運営上の問題は少なからず他の団体にもあって、その背景を理解することが何か有益になるのでは、と感じていたのかもしれません。

結果として感じたことは、結局、「踊る大捜査線」の有名なセリフに凝縮されるものなのか、というのが私の今のところの結論です。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というそれ。

相手を目の前にして戦っている選手はその場で最大限のパフォーマンスを出そうと一生懸命なことにはいつも変わりがなくて、最高の舞台で、最高の結果を出したいと強く思う気持ちも私たちが想像するよりも強くあって。
だからこそ、彼らはこの絶望的な状況、前評判を覆して、「ベスト16」という今までと同等の成績を出すことができたのでしょう。
決して、組織力がもたらした結果ではないんですよね。

この構図は日本のあらゆるところで起こっていて、まだまだ改善の見込みがありません。
ビジネスでも多くこんな現場に出くわしてきました。

素晴らしい監督も必要なんだけれど、その組織そのものを統べる素晴らしい人材がこういった競技を強くするのには必要なんですよ、切実に。
必要なのは未来をデザインする力、自分たちの未来のあり方を多くの人に説明できる能力、そしてそれを元に人を鼓舞することができる人。
さらに付け足すとしたら、その目標を具体化し、スケジュールに落とし、誰がそれを実行していくのにふさわしい人間かを判断する能力。

それはその競技で結果を出した人だけがふさわしいわけのではないと思っています。
そんなグランドデザインを元に行動できる人、日本は壊滅的にそういう人材が少ないのかな、と感じています。

4年ってとても長い時間に見えて、実はそうでもないんです。
私に取っては羽生結弦がソチでメダルを取って、平昌の舞台に立つまで、あっという間でした。
龍神NIPPONがOQTで負けて、東京オリンピックまで4年あると思ったりしましたけれど、もうそれも半分、消化しました。

時間は思っているより有限で、そして矢のように過ぎていくものです。

お祭りの熱量に晒されながらも、すでに次の監督のことが議論されていることは素晴らしいことだと思います。
でも、実はその前にやるべきことは今の組織のトップの見直しなんじゃないのかな?
このドタバタ劇(マスコミ的にはネタがたくさんあってよかったのかもしれませんが)の教訓を生かした組織づくりこそが一番最初に取り組むべきことなのではないでしょうか?

マイナースポーツを追いかけている私から見るとこのスポーツはたくさんの武器を持っているように見えます。
お金があって、さらに知名度もある。
W杯では恐ろしい規模のお金が動いています。
少なくとも金銭的には恵まれた競技なのだと痛感しました。
それをどう利用して、自分たちが強くなっていくか、をぜひ、次のリーダーには実現してほしいと思います。


サムライブルーの戦士たち、お疲れ様でした。
次の大会のピッチに立つ人はもしかしたら少ないのかもしれないけれど、この経験が次の世代にきっと引き継がれるのでしょう。

次の舞台で悲願のベスト8へ駒を進められることを祈ります。

さ、バレーボールもがんばろ。
世界バレーでベスト8に残りたいね。
勝つことでしか世界は広がらないから。

■羽生結弦という魂 -国民栄誉賞授与に寄せて-

とうとうここまで登りつめたか、というのが素直な感想でした。

最初に彼を見たのはニースのロミオの演技でした。
迸る情熱で滑りきった4分半は私のそのあとの人生の一部を劇的に変えました。
「この子は何かを成し遂げる」と漠然と感じたのだと思います。

でも、その時は、ソチに間に合うとは思っていませんでした。
オリンピックには出るだろうけれど、金メダルにたどり着くとはまでは気づけなかったのです。
私の予想を裏切って、急速に成長した少年は、あっという間に日本を制し、一つ目のオリンピック金メダルを2014年に手にしました。
棚ぼたのような金メダルでした。
 
キッラキラの金メダルを手にしてもなお彼は悔しいと言っていました。
そう、望んだ形の勝ち方ではなかったのです。
誰もがいい演技をした上で、勝ちたいと思っていたから。
 
そういう負けん気がとても好きです。
勝ち続ける人にはそういった勝つことへのこだわりがあるのでしょう。
そういう人しか勝ち続けることはできないのかもしれません。
 
彼がソチで金メダルを取ったことと、被災したことには少なからず因果関係があると思っています。
あの時、彼がその立場に追い込まれていなかったら、彼はそこまで飛躍しなかったのかもしれません。
彼は若干17歳でたくさんの人の希望を体現する存在にならざるを得なかったのです。
 
その辛さを吐露したこともありました。
急成長をやっかまれたこともありました。
さらに怪我や病気という壁を何度も乗り越えて、なお、その強さを見せてくれる存在です。
 
有名になればなるほど、結果を出せば出すほど、彼を知る人が増えます。
有名にることは「バカに見つかること」と言った芸能人もいました。
多くの人に愛される彼は、コンテンツとしての価値も高く、それを消費しようとする大人に巻き込まれることも。
揺るがないその強さを妬み続ける人たちから誹謗中傷されることも。
 
それでも彼は揺らぎません。
 
自分を大事にしてくれる人々のために、
自分を応援してくれる人々のために、
故郷で自分を育ててくれた人々のために、
多くの彼を支えてくれる人々のために、
 
自分が持てる武器を増やし続け、その賢さで先手をとり続けています。
 
それが彼が成長する中で、手にしてきた「羽生結弦という魂」そのものなのだと思っています。
 
ふたつめの金メダルはさらに彼に新しい力をもたらしました。
その一つが国民栄誉賞というものなのだと思っています。
 
受け取ることに意を唱える人もいることも、それすらも人々の政争の道具になっていることも、
彼は全て分かった上で、この決断に至ったのだと思います。
 
それこそ「羽生結弦」であることを可能な限り続けていく決意とともに。
その存在の尊さを適切に表せる言葉をもう私も見つけることができません。
 
そんなものを背負わなくていい、大人はそう感じます。
 
最近の彼の行動から感じることは、背負っているという感覚ではないのかもしれませんね。
彼自身が理想とする「羽生結弦という存在」に近づいているだけで。
それが彼の選ぶ人生なのでしょう。
 
これからも彼はその魂を磨き続けるのでしょう。
私はその姿を何度も、何度も眩しいと目を細めながら見ていくのだと思います。
 
もう、心配がいらないくらい大人になったんですよ、彼は。
どんな負のエネルギーも乗り越えて、それを言葉できちんと私たちに説明できるくらい。
 
そんな生き方ができる存在と同じ時代を生きることができたことにただ感謝しかありません。
生きていてくれてありがとう。
夢を見せてくれてありがとう。
 
君の存在は自分の生き方を問い直す鏡になっています。
その姿に恥ずかしくない自分でありたいと。
 
これからも様々な逆風が吹き荒れるでしょう。
彼の周りが静かになることはないと思っています。
 
でも、彼は大丈夫。
そう、信じるにふさわしい道のりを彼は歩いてきています。
それを実感する授与式でした。
 
和装をまとった凜とした姿は23歳とは思えない風格をまとっていましたね。
もう、かっこいいとか、可愛いとか、ではなく神々しいとすら思っていました。
 
大人になるということは年をただ取ることではないと彼に教えられた気がします。
私もかっこいい大人でありたいです。

幾つになっても。

■ヒカリアレ -お疲れ様でした、龍神NIPPONのみなさん-

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2018年の龍神NIPPONのVNLが終わりました。
最後の中国ラウンドは3連敗。
勝ち星を重ねることができずに、最終順位は12位。

東日本インカレを見に行ったこともあって最後の2試合はオンタイムでは見れませんでした。
とりあえず、録画で追っかけ観戦しました。
選手によっては疲れが見えたり、パフォーマンスがいつもよりちょっと落ちてるかな、と感じるところもありましたが、コートに立っていた選手はみんな最後まで勝ち切ろうと思っていたと私は思います。

迫り来る世界バレーに向けてこの結果はどう評価すべきなのでしょう?

私が思うのはこのリーグの運営方式が変わってことで、日本は世界バレーで対戦するであろうチームと事前に戦うチャンスを得たのだと思います。
もし、去年と同じパターンで運営されていたら、グループ2のチーム(ほぼ去年と同じチーム)と戦うことになったでしょう。
もちろんそれなりのリーグの中で前回と同じような結果を残せたかもしれません。
でも、たどり着きたい場所にたどり着くためには強豪と呼ばれる国々の強さ、特徴を知ることもとても大事なことなんじゃないかな。

チームによってはベストメンバーじゃなかったという指摘もありますが、どんなチームも常にベストメンバーで戦えるとは限らないんですよね。
怪我があったり、体調が悪くなったり。
どんなに屈強な選手もアンドロイドではないですから、もちろん調子の波だってありますよね。

大きな試合で勝つために必要なことは、自分たちの力の底上げなんだろうな、と漠然と思っています。
世界でトップレベルのチームになるには最高のパフォーマンスができて、勝てるのは当然のことにならないとダメなんですよね。
そして、その時、チームの調子に波があって、ちょっと下振れしていても勝ちきれる、そういう力が必要なんじゃないかなと。

まさに2018年はそれに辿りつくまでの過程にいるのだと思っています。
今、最強のチームになる必要はなくて、2020年というゴールに向かって準備していく道の半ばなのかな、多分。

VNLが始まる前、私たちに夢を見させてくれた石川祐希がこのリーグを全休すると予想した人はどのくらいいたのでしょう?
そして、彼のいない全日本がこれほど活躍すると予想した人はどのくらいいたのでしょう?
いろんな想定外の中、彼らは持てる力を発揮して、何度も何度も驚かせてくれました。
とりあえず、びっくりだった戦績をまとめてみることに。

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なんか、すごくありません?
もちろん様々な要因もあったと思いますよ。
でも何年も、何年も歯が立たなかった相手に互角に戦って、今のランキング上位(それがあてになるとかならないとかそれは別の話なので)に4つも勝ったんですよ。
しかも、ドイツなんて開催国ですよ。
アウェーです。

しかもね、勝った試合はフルセットばかり(どんだけバレーボール好きなのw?)。
何度ももうダメかも、このセットと思えるような場面もくぐり抜けて、勝ち取った勝利です。
粘り強く戦い抜いた証だと私は思っています。

ここに至るにはチーム内でもいろんなことがあったと思います。
移動距離も長いし、気候の変化だってあっただろうし、食事が合わないとかそういうこともあったでしょうし。
そういうことも含めて彼らが切り取ってきた結果なんですよね。

OQTで負けて、東京オリンピックでは開催国出場するというのに、闇しか見えなかったあの頃。
2016年のWLなんて、お通夜みたいでしたから。
見てる方も本当に苦しくて。
応援したくて見てるのに、どこにも希望のカケラすら見えなくて。

2017年、WLで残ってファイナルまで行って、アジア選手権で優勝して、ちょっと浮かれていたら、グラチャンでまた、足らないものだらけのこのチームに気づいたりもして。

だけど、そうした敗戦から、立ち上がって、一歩、一歩、彼らができることを積み重ねて、今年のこの結果に結びつけたのではないかと思っています。
だから、VNLの後半の試合に勝ちきれなかったけれど、少しづつ強いチームに勝てるようになるために前に進んでいることを感じています。

まだ、道半ば。
これからもっと、もっと、このチームは進化して、イタリアで私たちの夢を現実にしてくれるかもしれません。

約一ヶ月におよぶ長い、長い遠征、お疲れ様でした。
まずは翼を休めて、また高く跳ぶための英気を養ってくださいね。

次は親善試合。
どんな進化をしたか見にいくよ!
「ヤバイ」しか言えなくなるくらい、驚かせてね。

一寸先は闇でも、二寸先には栄光がある、きっと。



光あれ
行け 闇を滑走路にして
己の道を敬虔に駆けろ
光あれ
一寸先の絶望へ
二寸先の栄光を


光あれ
行け 影と歩幅合わせ
己と戦う日々に幸あれ

歪曲がらず屈折せず 理想を追い続ける
その覚悟を「光」と呼ぼう


「ヒカリアレ by BURNOUT SYNDROMES」

 

  

 

■番狂わせが起こるとき  -W杯コロンビア戦に思うところ-

私はサッカーファンではありません。
たまに家人が見ているサッカーの試合をチラ見するくらいですから、選手の名前もろくに知りません。
一生懸命に見ていた時期もあるのですが、どうも自分には合わなかったようです。

ただ、私自身は「Japan」で戦う人は無条件に応援したいという変な性質の持ち主でして、オリンピックや国をかけた戦いではついつい普段は見ていないスポーツを見るのが習性になっています。

そんなわけで昨日もテレビ前観戦でした。

もちろん普通にニュースを見ていればここまでの経緯も大体わかります。
直前に監督を変えて大丈夫なのか?
新しく招集したメンバーは本当にこれで大丈夫なのか?
サッカーファンの友達もたくさんいますが、W杯が始まる前からみんなお通夜のようでした。
もう、日本以外の試合を楽しむよ、と開き直っていた空気すら漂っていました。

そして、昨日の試合。

なんかね、漫画みたいじゃありませんでしたか?
開始3分で、一人退場。
そして、PKで先制点。

なぜ、相手の選手は「ハンド」でそのボールを止めようとしたのでしょうか?
冷静に考えれば圧倒的な戦力を持っている彼らにとってはあの時間帯の失点は致命傷ではないはず。
その点を防ぐことよりも、彼がピッチに残っていることの方が有効だったのではないでしょうか?
そういう当たり前の判断ができなくなるのが、大舞台なのかもしれないな、と思いました。

試合を見てても、日本よりもコロンビアの選手の方がはるかにうまいな、と思いました。
ボールさばきが日本の選手とは全く違います。
一人減って、ちょうど互角の戦いができるくらいの空気感でした。

そしてそんな焦燥感は指揮官の判断も狂わせたのでしょうか?
コロンビアの交代は、怪我の影響があるスター選手をピッチに出すという選択でした。
日本はこのあたりから相手ゴールに攻められるようになって、追加点を最終的に得ることができました。
長い時間守りきって、5分のアディショナルタイムを我慢して得た歴史的勝利でした。



いや、勝っちゃったよ、という感想でした。
どうやらアジアのチームがW杯で南米のチームに勝ったんのは初めてだったようです。
番狂わせ、ジャイアントキリング、誰もが勝てないだろうと思っていた試合に勝ってしまった日本代表でした。

でも、この戦い方がもう一度、再現できるか?には疑問が残ります。
確かにチーム全員の力で勝った試合には変わらないのですが、同じ戦略で戦うことは難しいでしょう。
そして、W杯前に抱えていた問題が解決したわけでもないのだと思います。

でも、こういう驚くべき試合結果が生まれるのが、W杯やオリンピックのように4年に一度しかない、緊張する舞台なのでしょうね。
あと2試合を彼らがどう戦い抜くのか、その結果、何がサッカー界に起こるのか、は興味深いです。

あるカーラーが言っていた言葉がふと頭によぎりました。
「負けには必ず理由があるけれど、理由のない勝ちがある」というそれです。
今回の日本の戦いはまさにそういう勝ち方だったのだではないでしょうか?
勝ったことは価値があります。
そう、今のところ、勝ち点3ですしね。

でも、この瞬間のために準備してきた4年間が正しい道のりだったのか?という疑問、次に同じような轍を踏まないための反省はどんな結果であっても、しなければならないのだと思います。

今まで自分が経験してきたリアルプロジェクトでもそうなんですけど、下手に収まってうまく行ったように見えると、そういうことしないんだよね。
個人が信じられない能力を出して乗り切ったとか、神風が吹いて、有利になったとかそういうやつでは。

そうなると、今から上の位置には4年経っても、いけなくなる。
もしくは後退する。
それはどんな競技もありそうな、そんな話。

いろんな示唆を含んでいるなと考えた夜でした。