【News】「図書館戦争」の世界がやってくるのか?

f:id:t_seria:20130817122153j:plain

私にとって今週の2つの衝撃的なニュースは「図書館戦争」という小説を思い出させた。


■「風立ちぬ」に禁煙学会がクレーム
■「はだしのゲン」閲覧を制限

というもの。
風立ちぬは映画、はだしのゲンは漫画ではあるけれど、どちらも同じように深い問題がそこに存在していると思う。

まず、「風立ちぬ」。
残念ながら私はまだその映画を見ていない。
なので、どれほど、喫煙のシーンが多かったのか、判断はつかない。
でも、どんなシーンで、どんな喫煙を描くのかは表現者の自由だと私は思っている。
それをどのように捉えるかは受け取り側が決めることなのだと常々感じている。
私自身はまったくタバコを吸わないし、吸いたいとも思わないし、煙を容赦なく他人に振りまく人を見て、殺意を覚えることはあっても、その表現を制約すべきだと感じたことは一度だってない。

かつて喫煙者がタバコを吸わない人に配慮しなくていい時代が長くあった。
それも事実。
直接的な健康への被害、周囲への健康被害、そういった情報が公開されて、世の中は喫煙者が生きにくい環境が出来上がった。それすらも日本ではほんの15年くらいの流れでしかない。

あったものはあったものとして、受け入れる。
そして、その状況に変化があったのなら、新しい常識を受け入れる。
という過程で、その創作に「喫煙」の描写があることのみに焦点をあてて語ることが正しいとは私には思えなかった。

そんな気持ちでいたところに今度は「はだしのゲン」の話題。

描かれた描写が過激だから「閉架」とする。
可能なら目に触れるようにしたくない、という判断なのだろうか?
本当の戦争の現場はもっと、過激で、凄惨な世界が広がっていたのではないだろうか?
心理的影響を受けることを想定して、事実をそれよりも柔らかく伝えることに果たして意味はあるのだろうか?

終戦から60年を過ぎる時間がたっていて、何があったのかを自分で語ることのできる人ももう少なくなっている。
今、生きている世代の多くは聞いた話でしか戦争を知らない人々。
ただでさえ、その経験や記憶をつむいで行くことが難しいのに、それを伝えられる書籍や映像を規制することが有効だとは思えない。

「規制」をすることでそれに触れないことで、よりよい人生を送れる、という判断は誰がしているのだろう、と考えると、今回のニュースに対して何か背筋が寒くなるそんな気がして仕方がない。

 

日本という社会が「過保護」な社会になりつつある、と感じている。
人が傷つかないように、間違った方向(これは為政者や、判断をする人が思っている間違った方向)に行かないようにルールや、規制を作る。
それは人々から判断能力や思考能力を奪う、恐ろしい判断なのではないかと私は感じている。

モノの考え方や捉え方、生きる上で正しいものもひとそれぞれ違っている。
違っているというベースで表現されたものを受け取ることによって、自分との共通点や違いを認識し、他者との距離感を理解していくという作業は生きるために必要なことではないのだろうか。

 

どちらの判断もちっとも正しいと今は私は思えない。
でも、それすらも賛否両論があるところなのだろう。

それでも、「図書館戦争」に描かれるような世界がやってきては行けないと感じている。