■Last Chapter -君を追いかけた日々 その6 -

練習風景が映像で流れるのを見て、ああ、決して状態は良くないんだな、と感じていました。
彼がループも、ルッツも跳んでいないという事実に少し心が揺さぶられていました。
彼は圧倒的に、完璧な演技をしてふたつ目のメダルを取りたかったはずだから。
前回の棚ぼたみたいな金メダルではなく、ちゃんと自分の手でそのメダルを掴みたかったのだろうとそれまでの発言を聞いていて感じていたので。

もちろん、私たちはよく知っています。
彼がSPもFSも完璧に滑ったなら、ループも、ルッツもなくても彼は勝てるのだと。2017-2018シーズンが終わった今でも、330点を超えた選手はいません。
それが彼の強みです。

羽生結弦はトータルパッケージの選手です。
美しいジャンプも、キレのあるスピンも、一歩であっという間にリンクを横切れるスケーティング技術も彼は持っています。
だから、彼にはループも、ルッツもなくても他の選手に勝てるチャンスはありました。でも、それは彼の流儀に反するのだとなんとなく感じていました。
持てるものは出し尽くす。出し惜しみはしないと常々、言葉にしてきた彼ですから。

そんな彼が練習でループも、ルッツも跳ばない。(ループは最後に少し跳んでいたようですが)
何を意味するかはファンには分かります。
跳ぶことの方がリスクが高い状態なんだな、と。

この時ほど、今年のプログラムがバラ一と、SEIMEIでよかったと思った瞬間はありませんでした。

シーズンが始まる時、やっぱりひとつくらいは新しいプログラムを見たかったな、と思っていた自分がいました。
もしかしたら、最後になるかもしれないシーズンだったから、余計に。
彼にタンゴとか、新しいジャンルにも挑戦して欲しかったし、カルミナみたいな壮大なプロも見たかった。
だけど、彼の選択は、この未来を見越していたかのように正しかったのです。

身体から音楽が出ているのではないかと思えるくらい音楽と一体化したバラ一。
全ての音に無駄がなく彼らしさが存分に見せられるSEIMEI。
この二つのプログラムは手負いの彼を助けてくれる、そう確信していました。

ショートプログラムのその日。
6分間練習のためにリンクサイドに出てきた彼はとてもとても穏やかで静かでした。
このオリンピックを通じてずっと彼はそんな雰囲気だったと思います。
私は目の前で滑っている彼を見ながら、ただ祈っていました。
何事もなく、無事に、滑りきれますように!と。

会場は彼が出てきたことで熱気に包まれていました。
ジャンプが決まるごとに大きな拍手が湧き、全てのジャンプが決まった時には会場が動くのではないかというぐらいの拍手が響いていました。

彼のプログラムは恐ろしく攻撃的です。
彼があっさりとやってのけるので、その難しさを感じなくなっていますが。
3Aと4T3Tは後半に跳んで、しかもコンボは一番最後です。
失敗したらリカバリできるチャンスはないのです。
そうやってギリギリまで技術点を稼ぎ、完成度でGOEを稼ぐのが彼の作戦です。
(見てる方は心臓がいくつあっても足りません。いつもジャンプが終わるまで息ができません)

 

彼が完璧にそのプログラムを滑り終えた時、会場は日の丸とゆづるバナーで埋め尽くされ、ありとあらゆる方向からプーが投げ込まれている様子を私は必死でカメラにとらえようとしていました。

彼はこの瞬間も静かでした。

その結果を静かに受け止めているそんな感じで。

私は呆然とその様子を見ながら、「強いわ、ホント」と唸るしかありませんでした。
怪我をして、復帰第一線がオリンピックで、非の打ち所のないショートプログラムを滑り切る、ってどんだけメンタル強いの、と。
決してマネのできないその強さが私が彼をに惹かれる大きな理由の一つではありますが、もう、それは人間のすることじゃないわ。
(よい子は真似しないでください、テロップを出したい気分でしたよw)

PBには及ばなくても111点台は彼にしか見たことのない領域の点数。
余裕ではないけれど、他の選手より、一歩前に出れる得点。
そのあとのネイサンが魔物に捉えられるのを見つつ、彼がフリーでどんな戦略で戦うのか、そればかりが頭の中をよぎっていました。