■Last Chapter -君を追いかけた日々 その3-

オリンピックが終わったあと、彼を追いかける人が増えたなというのは漠然と感じていて。
それはアイスショーの人気を見てもものすごく感じました。
何というか、彼が出てくると、会場のテンションの上がり方がおかしくて。
なに、これ、アイドルのコンサート?みたいなことも有りました。

でも、彼が競技に向かう姿勢は全く変わりませんでした。
それは、きっと、オリンピックに忘れ物をしてきたから。
そう、ショートとフリーを揃えて勝つ、というそれ。
平昌までの4年は彼がその忘れ物を取り戻すための戦いなんだろうな、と思っていました。

このあたりから私にとっては世界選手権は必ず見に行く試合になりました。
きっと、平昌オリンピックが最後になるだろうから、そこまで見届けようと心に決めたのもたぶん、この頃です。

さいたまワールド、上海、ボストン、そして、ヘルシンキ。
よく通ったと思う、ホント。

その中でも、私にとって上海はいろんな意味で忘れれない街になりました。
たぶん、彼が上海での試合に出なかったら、自ら行こうとは思わない国だっったから。 行ってみたら、ご飯が美味しくて幸せだったのですが。

初めての中国杯。
初めての上海。
ゆづの初戦はいつもいろいろあるのが普通なので、あまり期待せず、今年は何が起こるかな、くらいの心づもりでたどり着きました。
ショートで後半四回転に挑戦して、上手く行かなくて。


Yuzuru Hanyu. 2014 Cup of China SP 82.95


フリー番長のか彼に確かに巻き返しを期待していました。
まさか、あんなことが起こるとは思わず。
事件はまさに自分の目の前で起きていて、あ、危ない、と気づいた次の瞬間には二人は氷の上に横たわっていました。
何が起こったか全く分かりませんでした。
しかも中国はSNSが自由に使えない国。
情報は全くと行っていいほど入ってきません。
そんな中、彼が頭をぐるぐる巻きにしてリンクに戻ってきた時は私の心臓が止まりそうでした(いや、そんなにデリケートではないけど)。

 
彼は何度も何度も氷に叩きつけられながら4分半を滑りきったのです。
ロンドンワールドのフリーのときより泣けました。
ホントに放心状態。
ただ、あの何かが乗り移ったかのような妖しささえ醸し出していたオペラ座のパフォーマンスは一生忘れることなく、頭に焼き付いているのだと思える衝撃でした。



そして、NHK杯。 でなくてもいい、とたぶん思っていたと思います。
彼はどうしても出たかった。
GPFのにつなげるために。
あの中国杯を無駄にしたくない、という気持ちで。


2014 NHK Yuzuru Hanyu SP B.ESP2


2014 NHK Yuzuru Hanyu LP B.ESP2

初めて自分を信じることの出来ない羽生結弦の演技を見た試合でした。
ああ、彼でもこうなるのか、と衝撃を受けていた気がします。

その時に印象に残ったのは、ダイスが勝って上がった日の丸を最後まで見届けていたことです。
そこに立つのは自分のはずだった。
日の丸を上げるのは自分のはずだった。
という強い意志が溢れ出ているようなそんな気がしたのを覚えています。


そして、彼は私たちの心配をよそにGPFので復活劇を遂げるのです。


2014 GPF Yuzuru Hanyu SP B.ESP2


Yuzuru HANYU - GPF 2014 - LP


何者なの、、、この人は、、、と何度も何度も驚いて。
私の中でも鬼リピした動画がこのGPFでした。

この年はその後も手術で災難続き。
全日本選手権では何とか、ショート、フリーをすべりきったものの、結局、最後の上海の世界選手権では勝ち切ることが出来ませんでした。
あの事故のあった場所で滑りきったことがすごいことだと私は感じてましたけれど、彼にとっては銀メダルは納得できるそれではなかったのでしょうね。


2015 Worlds - Yuzuru Hanyu SP B.ESP


2015 Worlds - Yuzuru Hanyu FS CBC


しかも事故や病気で自分が目指していた構成で滑ることができなかったシーズンでした。

そう、羽生結弦は常に勝ち続けたわけではなかったのです。 絶対王者と呼ばれてはいたものの、彼の道のりは踏んだりけったり。

そんな中、前に進むこと、自分を進化させることを諦めなかった彼だったからこんなに長い間、応援し続けているんだと思っています。

つづく。